記憶と教育(一般財団法人日本エネルギー経済研究所理事/中東研究センター長、日本中東学会会長 保坂修司氏)

日本では暗記型教育の弊害を指摘する声が大きく、生徒や学生に考えさせる思考型教育の重要性が指摘されている。ところが中東ではこれまでも、そして現在も多くの国で暗記型教育が中心となっている。私は教育の専門家ではないので、どちらがいいのか判断できないが、中東の暗記偏重詰め込み教育が非常に古い歴史と伝統をもっていることは指摘しておいていいだろう。
歴史的にいうと、イスラームができた7世紀以来、中東ではイスラームの聖典クルアーン(コーラン)や預言者ムハンマドの言行録(ハディース)、さらにはそれらに基づいて成立したシャリーア(イスラーム法)に関する本を暗記することが学びの中心となっていた。また、イスラームの礼拝所であるモスクにはしばしば初等教育機関であるマクタブ(あるいはクッターブ)、または、高等教育を担うマドラサと呼ばれる教育研究施設が付置されていた。大量印刷がない時代には、教師から口伝えで習うのがふつうであり、必然的に暗記中心にならざるをえなかった。とりわけ、聖典クルアーンに関しては、暗記すること自体が重要な目的であり、写本にしろ、印刷物にしろ、「書籍」は暗記をするための、補助的な道具にすぎなかったのである。


アラブ・イスラームの教育およびアラビア文字の印刷に関する本

イスラーム世界では長く活版印刷自体が許されず、オスマン帝国ではじめてアラビア文字の活版印刷が行われたのは1729年であった。ただし、イスラーム法学者たちの強い反対があったために、イスラームに関する書籍の印刷は行われなかった(なお、オスマン帝国下でも、キリスト教やユダヤ教関連の宗教書の印刷はそれ以前から行われていた)。クルアーンのアラビア語による活版印刷が最初に行われたのは16世紀とされているが、印刷された場所は、中東ではなく、イタリアである。アラビア語圏で最初のクルアーンの印刷はようやく1925年、エジプトにおいてであった。


エジプトのカイロ大学

そのため、アラビア語圏では長く教育の基本は教師から生徒、師から弟子への口伝であり、さらに、師の言葉を一言一句間違いなく、暗記することが弟子に求められ、それができて初めて免許皆伝(イジャーザ)となった。たとえば、イスラーム諸学を学ぶ者はまずクルアーンを、次いでハディースを暗記したのち、クルアーンの注釈を学ぶために、しばしば各地を遍歴し、そこで新たな師につき、またクルアーンの注釈に関するイジャーザを獲得、その後、別のところで別の師について、別のクルアーン注釈を勉強して、そのイジャーザを得るという具合である。彼は幾つかのイジャーザを獲得した上で、自分自身のクルアーン注釈を書くことができ、それによって、彼自身のイジャーザを出すことができる。そのときにイジャーザおよびその連鎖(イスナード)が彼の学識の正しさを担保してくれるのだ。
世界的な言語哲学者で、イスラーム学者でもあった井筒俊彦は、若い頃タタール人の学者の下で、西暦8世紀の文法学者シーバワイヒのアラビア語文法書を学んでいたときのエピソードを紹介している。それによると、その学者は1冊の本も持っておらず、シーバワイヒの、千ページもある文法書だけでなく、その注釈書までも完全に暗記しており、井筒には本を用いず、文字どおり口伝えで教えてくれたという。その学者は、多くの本を集めていた井筒に対し、「本箱を背負って歩く人間のカタツムリ」と批判したそうだ。井筒はその学者先生の学問の方法について「まあ、それはあっちの方の学問の習慣でもあるんですよね」とさらっと言っているが、このような超人的なことが可能なのは、才能だけでなく、子供の頃から暗記という習慣と技術を身につけていたからであろうし、その結果、それが可能であった人たちによって知が独占されてしまうという弊害も生むことになった。


サウジアラビアのファハド国王石油鉱物資源大学

鶏が先か卵が先かの議論になるが、知識を詰め込むだけでは、革新的な思考はできないという批判も分かるし、知識なくして思考することなどできないという批判ももっともだ。インターネット時代になって、多くのイスラームの宗教テキストがオンラインで利用可能になっている。つまり、クルアーンやハディースを暗記していなくても、それを利用できるようになったのだ。たしかに知の大衆化という意味では大きな進歩であるが、同時に、公式の宗教教育を受けていないもの(イジャーザも学位もないもの)が、宗教的テキストを好き勝手に切り貼りして自分の望む解釈を恣意的に作り出すという危険な例が出てきている(たとえば、テロリストが宗教教育を受けていなくても、自分たちのテロを正当化するため、容易に宗教的なテキストを利用できるとか)。
他方、ChatGPTなどのAIは中東諸国でも注目を集めており、さまざまな研究機関が取り組みはじめている。イスラームでは、信者が宗教的な疑問をイスラームの専門家に尋ねると、その専門家が宗教的なテキストを引用しながら答えてくれるというシステムがある。その専門家をムフティー、答え(宗教的判断)をファトワーという。従来、公式の宗教教育を受けたムフティーの判断の正統性は、暗記による免許皆伝で担保されていたが、今後、それがAIに置き換わる可能だって出てくるかもしれない。そのときこそ、イスラーム世界の暗記型教育にとって最大の危機となるかもしれない(もっとも、思考もAIに任せることができるなら、思考型教育にとっても危機であろう)。

■著者プロフィール

保坂 修司(HOSAKA Shuji)

一般財団法人日本エネルギー経済研究所理事/中東研究センター長、日本中東学会会長。主な著書:『サウジアラビア』(岩波書店)、『ジハード主義』(岩波書店)、『イラク戦争と変貌する中東世界』(山川出版社、2012年)(山川出版社)、『サイバー・イスラーム』(山川出版社)等。

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